2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

随筆・野島先生のこと

野島寿三郎先生と初めてお会いしたのは2000年の多分寒いころだったと思う。20年近く昔の当時、先生はまだ60代、自分は50そこそこだった。 お会いしたのは、総武線小岩駅近くの線路下の、まだ開店間もない小料理屋だった。店のママは銀座のスナックだかを引退…

北京百景・東嶽廟

中国古来の道教の寺院を廟といい、東嶽廟は北京最大の廟である。 廟は仙人と称されるような多様な像が配された部屋がある。 これらの像は、見た目は仏像でいえば阿弥陀像や仁王像というより七福神に近い。 どれも何かを語りかけてきそうだが、一瞬でも語り合…

随筆・ムンクの「赤い蔦」

2018年10月から東京都美術館でムンク大回顧展が始まった。芸術の秋なのでフェルメールなど他にも美術展が目白押しだったが、かの「叫び」のポスターに引かれることにした。 「赤い蔦」は、壁が赤い蔦で覆われた二階建ての家を背景に、青ざめた顔色の人物を直…

映画雑感・逃亡者

言わずと知れたテレビドラマシリーズのリメイク版である。テレビのものは子供時代に見ていた覚えはあるが、覚えているのは毎回映し出される冒頭の場面だけではある。 テレビ版と映画版で一番気になったのは、主人公リチャード・キンブルの印象だ。テレビの方…

北京の伝説・紫禁城の床のしきり

故宮のいくつかの宮殿には床のしきりがなく、観光客が出入りするには具合がいい。ではこのしきりは誰がいつなくしたのだろうか。 民間伝説によればこうだ。雍正帝は夢で自分が皇位継承で兄弟に殺され、慌てて次々に宮殿のしきりに足をとられて転び、身体中傷…

闘病記・2019年4月27日

昨夜の元職場の仲間たちとの飲み会では、結局「じゃあまた」と言ってしまった。食欲がなく、抗がん剤が打てなくなり、体力も落ちるだけとは皆に伝えたが、誰も現実として受け止めてくれない。というより、そもそも自分に現実感がまるでないのだから、当たり…

闘病記・2019年4月26日

先日26日に呼吸器内科へ行って以来、死を意識するようになる。きっかけは「食欲がないのでは抗がん剤を続けられない」と医師に言われたことだ。 それはやむを得ない、来るときが来たということだが、それでもゴールデンウィーク明けに別の抗がん剤を打つこと…

中国近代史(資料)・太平天国の経過

1850年 金田蜂起 ▶満州族支配の清朝を倒そうとする洪秀全を中心にした拝上帝会が、広西省の金田村で蜂起、翌年、太平天国を国号と定める。 ーーーーーーーーーー 1853年 太平天国が南京を占拠 ▶太平天国軍は北上して湖北省の省都武昌を陥落させると、勢いに乗って南京…

中国近代史(資料)・阿片戦争の経緯

1838年 林則徐が欽差大臣となる ▶イギリスからの阿片流入に対して、それを容認する意見(弛禁論)もあったが、道光帝は阿片厳禁(厳禁論)を主張する林則徐を欽差大臣(特命大臣)に任命。 ーーーーーーーーーー 1839年 林則徐が阿片を没収・焼却 ▶イギリス商人が持っ…

中国近代史(資料)・林則徐小伝

林則徐は福建省に生まれ、地方官を歴任していたが、北京の宣南詩社というグループに属す詩人でもあった。 1837年には湖広総督に抜擢され、1838年に同光帝が全省の有力官僚に阿片の取扱いに関する意見を求めたところ同光帝に認められ、翌年、欽差大臣(特命大…

闘病記・2019年4月23日

本日は呼吸器内科で今後の相談をする。 TS-1は失明リスクがあるのでやはりだめ。 問題はその後だが、食欲がないので抗がん剤は使えない可能性が高いとのこと。 やむを得ないので、一応一度使って様子をみることで医師も妥協。 というわけで、ゴールデンウィ…

由来案内・両国橋

JR総武線の浅草橋駅から神田川を柳橋で渡り、大通りに出たところに、両国橋の由来を記した碑が立っている。■■■ 明暦の大火(1657年)は江戸の市街の大半を焼失し10万余の死者を出した その時このあたりで逃げ場を失って焼死する者が多数出た このため対岸へ…

中国近代史・洋務運動と同治中興

太平天国が収束に向い、西太后らによる辛酉政変も落ち着いてはきたが、日本の台湾出兵などもあり、朝廷内では「自強(強兵)」の機運が高まって、曾国藩や李鴻章らが洋式兵器等の製造のための工場を立ち上げる。 さらに財政難を「富国」で解決すべく、炭鉱、…

中国近代史・日清修好条規と台湾出兵

大平天国が終息間近になったころ、日本は明治維新をなし、近代化を急いで清国に日清修好条規の締結を求めて実現する。 その主な内容は、①相互に外交使節を常駐、②相互に領事裁判権を承認、③相互の領土の不可侵、など対等なものであった。 しかし、この条約は…

闘病記・2019年4月19日

前回書いたように食欲がない。分けて食べるのは向いてないようなので昼はカップ麺にして夜はなるべく1食に近いように食べている。 それとだるい。何かをやる気力が出ない。外出は頑張って出るようにしている。今夜は元職場の仲間が集まってくれるので、とも…

由来案内・円明園の方外観

中国近代史に残るアロー号事件で英仏軍に廃墟にされた北京郊外の円明園に、方外観というイスラム教のモスクに使われた建物の遺跡がある。■■■ 位于养雀笼东侧,南向两层三角8间西式楼,初时俗称新建水法殿三间楼,在铜版图上始间见“方外观”。据记载,方外观当…

闘病記・2019年4月17日

数日前から突然食欲がなくなり、相当のストレスになっている。 食べ物の味はある程度わかるのだが、何を食べてもまずい。 正確にいうと甘いお菓子だけが何故か美味しく感じる。 ほかはまるで食べられない。 仕方ないのでちょこちょこ食べるしかないようだ。 …

北京の伝説・紫禁城の角楼

北京の故宮紫禁城の4つの角には優美な角楼があり、専門家や写生、撮影をする人が別々の角度から角楼の美しい姿を見つめる。 故宮の角楼に関してはは興味深い伝説がある。 明朝の永楽皇帝朱棣は北京に遷都する前に、側近の大臣を北京の蓋皇宮へ行かせた。 大…

中国近代史・愛琿条約

清国が太平天国の乱やアロー戦争で苦しんでいるのに乗じて、ロシアが中国に干渉する。従来曖昧だったロシア・清間の国境をロシアの有利に確定しようとして愛琿条約の締結を迫ったのだ。 ロシアは交渉に乗らなければ黒竜江(アムール川)にいるロシア艦隊が周…

由来案内・柳橋

柳橋は神田川の最下流に架かる橋で、神田川そのすぐ先で隅田川に合流する。■■■ 柳橋は神田川が隅田川に流入する河口部に位置する第一橋梁です。その起源は江戸時代の中頃で、当時は、下柳原同朋町(中央区)と対岸の下平右衛門前(台東区)とは渡船で行き来…

北京百景・中国鉄道博物館

鉄道ファンは世界中にいるようだが、そんな鉄道ファンを堪能させてくれるだろう中国鉄道博物館が北京にある。 2003年に公開された中国鉄道博物館は5部門に分かれた展示スペースで構成されている。 あいにく鉄道趣味を有しない者としては、むしろ建物に目が向…

北京百景・牛街礼拝寺

牛街はイスラム教(回教)徒が多く暮らす街で、モスクは一般に礼拝寺と呼ばれるが、正式には清真寺という。 北京には18万人のイスラム教徒が住むといい、40の清真寺がある。その中で最大規模を誇るのが牛街礼拝寺で、隣にはイスラム教の学校もある。 規律を…

映画雑感・雨に唱えば

「雨に唱えば」は、サイレント(無声)映画がトーキー(発声)映画に切り替わる際のエピソードを、ジーン・ケリー主演のコメディーに仕立てたミュージカル映画の傑作である。 主題歌「Singin’ in the Rain」を、土砂降りの雨の中でジーン・ケリーが唄い踊る…

中国近代史・辛酉政変

アロー号事件で清朝は避暑山荘に避難するが、この地で第9代咸豊帝は崩御する。 咸豊帝は死の直前に皇太子載淳の補佐を側近の八大臣に命じたが、載淳は西太后が産んだ子だったことから八大臣による補佐に西太后は不服で、咸豊帝の正室だった東太后らを味方に…

北京の伝説・礼士胡同の由来

北京城の東四路口をわずか南に行った東の礼士胡同は、伝記の彩りに富んだちょっと有名な胡同だ。 明清時代、ここはラバを売る市場で、「驢市胡同」と呼ばれていた。 胡同の木の根のように堅い杭には、ロバがつながれている。 売る者が傍で待ち、買う者はその…

闘病記・2019年4月10日

今日の東京は真冬並みの寒さで、朝から雨降りというのに、眼科の予約日で大学病院へ。 涙目は治ったようで少し楽だが、霞目の方は大きく霞むのは少なくなった気がする程度。医者もTS-1による場合、なかなか治らないという。結局、目薬を続けるしかないが、こ…

由来案内・亀戸天神の筆塚

亀戸天神には筆塚というのもある。■■■ 筆塚は書家や書道に励む人等が筆の労に感謝するとともに、一層の上達を願って廃筆を納めたものです。当宮では、「宮居に遠き人之為に、吉書初め(書初め)に可用筆を文政四年(一八二一)より毎年十二月朔日{ついたち}から…

北京百景・団城演武庁

北京郊外の路線バスに揺られていたら、突然目の前に城門風の建築物が現れた。バスをとび降りてそこへ行ってみると「団城演武庁」とあった。 団城演武庁は1749年に建てられた健鋭雲梯営という部隊を訓練するための施設である。 入口で名前を書いて入場する。…

北京百景・智化寺

北京に音楽の寺と呼ばれる明代の音曲を聞くことのできる寺がある。500年以上前に創建されたという智化寺である。 この寺は現存する明代の建築物では北京最大規模といわれ、山門や鐘鼓楼、智化殿、如来殿などが見られる。 聞くことのできる音楽は、鼓、竹笛、…

由来案内・里見公園の羅漢の井

市川市の里見公園は南総里見八犬伝で知られる里見家の国府台(こうのだい)城の跡地である。 公園の片隅に羅漢の井と名付けられた清水があり、傍らに由来を記した碑がある。 ■■■ この絵は天保5年(1834)に完成した江戸名所図会に描かれたものです。絵は、浮…