中国近代史・辛酉政変

アロー号事件清朝は避暑山荘に避難するが、この地で第9代咸豊帝は崩御する。
咸豊帝は死の直前に皇太子載淳の補佐を側近の八大臣に命じたが、載淳は西太后が産んだ子だったことから八大臣による補佐に西太后は不服で、咸豊帝の正室だった東太后らを味方につけてクーデターを起こし八大臣を追放した。これが辛酉(しんゆう)政変である。
西太后は八大臣が決めた「祺祥」の年号を取消し「同治」に改めるとともに、幼い皇帝を東太后らとともに補佐するいわゆる垂簾聴政を開始した。こうして西太后は清最末期の1908年に死去するまで清朝の実権を握ることになる。