中国近代史(資料)・太平天国の経過

1850年 金田蜂起
満州族支配の清朝を倒そうとする洪秀全を中心にした拝上帝会が、広西省の金田村で蜂起、翌年、太平天国を国号と定める。
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1853年 太平天国が南京を占拠
太平天国軍は北上して湖北省省都武昌を陥落させると、勢いに乗って南京を占拠。南京を天京に改名し、太平天国王朝の首都とする。
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1854年 清朝側が太平天国軍の一部を破る
▶南京に落ち着いた太平天国は西征軍と北伐軍を組織するが、西征軍は1854年に湘軍に破れ、北伐軍は翌年、センゲリンチンに破れる。
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1864年 天京陥落
天京が政府軍に囲まれると天京は食料不足となり洪秀全は栄養失調により死去。ほどなく天京が陥落。
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1870年代 太平天国がほぼ収束
天京陥落で洪秀全の子らは天京を脱出するが、次第に南方に追い詰められ太平天国は収束する。