由来案内・柳橋

柳橋神田川の最下流に架かる橋で、神田川そのすぐ先で隅田川に合流する。

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柳橋神田川隅田川流入する河口部に位置する第一橋梁です。その起源は江戸時代の中頃で、当時は、下柳原同朋町(中央区)と対岸の下平右衛門前(台東区)とは渡船で行き来していましたが、不便なので元禄十年(一六九七)に南町奉行所に架橋を願い出て許可され、翌十一年に完成しました。
その頃の柳橋辺りは隅田川の船遊び客の船宿が多く、”柳橋川へ蒲団をほうり込み。”と川柳に見られる様な賑わいぶりでした。
明治二十年(一八八七)に鋼鉄橋になり、その柳橋は大正十二年(一八八七)の関東大震災で落ちてしまいました。復興局は支流河口部の第一橋梁には船頭の帰港の便を考えて各々デザインを変化する工夫をしています。柳橋はドイツ・ライン河の橋を参考にした永代橋のデザインを採り入れ、昭和四年(一九一九)に完成しました。
完成から七十余年、現在、区内では復興橋梁も少なくなり、柳橋は貴重な近代の土木遺産として平成三年に整備し、同十一年に区民有形文化財に登録されています。
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この辺りは屋形船の係留地になっていて、いつも神田川を占領するように船が並んでいる。
橋のたもとには神田川の上流にはみ出した小屋はあさりなどの佃煮で知られる小松屋がある。
以前は浅草橋駅からこの橋を渡り、両国橋を渡って両国をのんびり歩くのが私の散歩道のひとつだった。
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