中国近代史・日清修好条規と台湾出兵

大平天国が終息間近になったころ、日本は明治維新をなし、近代化を急いで清国に日清修好条規の締結を求めて実現する。
その主な内容は、①相互に外交使節を常駐、②相互に領事裁判権を承認、③相互の領土の不可侵、など対等なものであった。
しかし、この条約は3年後の日本による台湾出兵で早くも破られる。
当時の琉球王国の船が難破したのを台湾人が殺害したのを理由に、陸軍中将西郷従道が兵を率いて台湾に侵攻したのだ。
清国側は日清修好条規に反するとして日本に抗議したが、軍備に遅れをとっていた清国は戦争に踏み切れず、イギリスの斡旋で日本に和解金を払うなどで事を納めざるを得なっかた。
これをきっかけに清国の李鴻章などが軍の強化を急ぐようになる。