北京の伝説・紫禁城の角楼

北京の故宮紫禁城の4つの角には優美な角楼があり、専門家や写生、撮影をする人が別々の角度から角楼の美しい姿を見つめる。
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故宮の角楼に関してはは興味深い伝説がある。
明朝の永楽皇帝朱棣は北京に遷都する前に、側近の大臣を北京の蓋皇宮へ行かせた。
大臣は朱棣から、皇宮の外壁ーー紫禁城の四隅には、9梁18柱72背柱の角楼を建てるように命じられた。
また、大臣は建設大臣に任命されたが、9梁18柱72背柱について何も知らなかったのでとても不安だった。
大臣は北京に着くと工事現場に大工たちを集めて皇帝の諭旨を伝え、なお3か月以内に角楼を建てるよう指示して、「もしできなければ、皇帝陛下はお前たちを処刑するだろう」と言明したが、どんなものを建てればいいのか見当もつかない大工らは工事を始めようがなかった。
瞬く間に1月がたったが、大工たちは相変わらず何も見当がつかなかった。
一年中で一番暑い6、7月になると、大工たちはますますやる気が起きず、寝転がったり呆れて街をうろついたりしていた。
ある日、古来伝わる機織りの音がしたので、一人の大工が、「機織機を買うからこっちへ来なよ」と声をかけると、織機売りはコウリャンで作った大小さまざまな機織機を持ってきた。
その中の一つに精巧な楼閣が描かれているのに気づいた大工は、その機織機を買って楼閣の梁と柱と背骨の数を数えてみた。するとそれは9梁18柱72背柱だった。
それで紫禁城の角楼は9梁18柱72背柱になったのだという。
(“紫禁城的角楼”https://mp.weixin.qq.com/から拙訳)