由来案内

由来案内・江戸川平成庭園

江戸川行船公園内に、日本庭園と源心庵からなる平成庭園がある。 ■■■ 江戸川平成庭園 この庭園は、昭和八年故田中源氏から寄贈された行船公園の一部を構成し、平成元年三年改修落成しています。 日本庭園 行船公園の北側に位置し、敷地面積一万二百平方メー…

由来案内・法華経寺法華堂

法華経寺四足門の後ろの山麓に当寺本堂の法華堂がある。 この建物は広目の柵に囲われていて、外観が見られるだけなのはさみしい。せめてもう少し近づいて細かく見てみたい気になる。なにしろ国指定文化財なのであるから。

由来案内・法華経寺四足門

法華経寺祖師門の裏山に目立たない四足門がある。 ■■■ 四足門はもと鎌倉の愛染堂(あいぜんどう)にあったものをこの地に移したと伝えられています。法華経寺では、はじめ本院(ほんいん)の玄関文句としていましたが、明治になって法華堂前の現在の場所に移…

由来案内・天壇公園皇乾殿

天壇公園祈年殿の裏(北)の一段低くなったところに皇乾殿がある。 ■■■ 皇乾殿是祈谷坛的“天库”,大典时祈年所供奉的“皇天上帝”和皇帝列祖列宗的神版平日在殿内供奉。祈谷大殿前一日,皇帝亲临上香,行请神礼后,才由太常寺官员将神版以龙享恭请至祈年殿内各…

由来案内・天壇公園祈年殿

北京の世界遺産である天壇は、皇帝が「天に祈祷する神聖な場所」である。 ■■■ 建于明永乐十八年(1420),初名“大祀殿”,为一矩形大殿,用于合祀天、地。嘉靖二十四年(1545)改为三重檐圆殿,殿顶覆盖上青、中黄、下绿色琉璃,寓意天、地、万物,并更名为“…

由来案内・法華経寺五重塔

法華経寺赤門を潜ると正面奥に五重塔がある。 ■■■ この五重搭は本阿弥光室(ほんあみこうしつ)が両親の菩提(ぼだい)を弔(とむら)うために、加賀藩主(かがはんしゅ)前田利光公(まえだとしみつこう)の援助を受けて建立したものです。塔の総高(そうこ…

由来案内・法華経寺の黒門

JR総武線下総中山駅は法華経寺の門前町の最寄り駅である。駅の北口から数分北に行くとまず黒門がある。■■■ この門は法華経寺の総門で、全体が黒塗りとなっているため黒門と呼ばれています。建立年代は明確ではありませんが赤門(仁王門)の創建と同じ、江戸…

由来案内・手児奈霊堂

「真間の継橋」のすぐ北には「手児奈霊堂」への参道の入口があり、市川市教育委員会による由来書がある。 ■■■ 奈良時代のはじめ、山部赤人が下総国府を訪れたおり、手児奈の伝承を聞いて、 「われも見つ人にも告げむ葛飾の真間の手児名(奈)が奥津城処」 歌…

由来案内・真間の継橋

市川市真間(まま)は万葉集にも登場する歴史ある地名だ。かつては断崖下の入江だったようで、継橋があったとされる。 ■■■ その昔、市川市北部の台地と、その南に形成された市川砂州との間には、現在の江戸川へ流れ込む真間川の河口付近から、東に向かって奥…

由来案内・回向院の猫塚

両国回向院には猫塚というのもある。そこには「猫の恩返し」と題する墨田区による由来書が添えられている。■■■ 猫をたいへんかわいがっていた魚屋が、病気で商売ができなくなり、生活が困窮してしまいます。すると猫が、どこからともなく二両のお金をくわえ…

由来案内・八達嶺の大砲

北京の八達嶺(いわゆる万里の長城)は明代の長城の姿を最も残しているとされ、1967年に長城を修繕したときには当時の大砲が出土しており、その由来が記された。 ■■■ 陈列着的五门古炮,是明代守卫八达岭长城的武器。其中最大的一门,炮筒长2.85米,口径105…

由来案内・十方普覚寺の瑠璃牌坊

北京植物園内の奥に釈迦涅槃像を安置する十方普覚寺がある。牌坊(パイファン)は門の一種で、日本でいえば神社の鳥居のようなものだ。 ■■■ 琉璃牌坊建于清乾隆年间,四柱三间,单檐歇山黄琉璃瓦顶,饰以黄绿琉璃瓦,华丽精美,五彩斑斓,突出地表现了清代皇…

由来案内・回向院の力塚

回向院は相撲興行の発生地と伝えられる。その力士にちなんだ石碑が回向院内にある。 力塚の碑は、昭和11年に相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊の為に建立したものという。 相撲に関してはろくに知るところもないが、子供の頃によく大豊、柏戸だとか、やや下って…

由来案内・回向院

両国の回向院には創建された江戸時代から、次のような由来があるという。 回向院の本道はコンクリート性のビルになっていて見るべきところではなくなってしまっている。 そう広くない境内には様々な碑などが点在しているが、奥の方は一般の墓地で、休日は双…

由来案内・両国橋

JR総武線の浅草橋駅から神田川を柳橋で渡り、大通りに出たところに、両国橋の由来を記した碑が立っている。■■■ 明暦の大火(1657年)は江戸の市街の大半を焼失し10万余の死者を出した その時このあたりで逃げ場を失って焼死する者が多数出た このため対岸へ…

由来案内・円明園の方外観

中国近代史に残るアロー号事件で英仏軍に廃墟にされた北京郊外の円明園に、方外観というイスラム教のモスクに使われた建物の遺跡がある。■■■ 位于养雀笼东侧,南向两层三角8间西式楼,初时俗称新建水法殿三间楼,在铜版图上始间见“方外观”。据记载,方外观当…

由来案内・亀戸天神の筆塚

亀戸天神には筆塚というのもある。■■■ 筆塚は書家や書道に励む人等が筆の労に感謝するとともに、一層の上達を願って廃筆を納めたものです。当宮では、「宮居に遠き人之為に、吉書初め(書初め)に可用筆を文政四年(一八二一)より毎年十二月朔日{ついたち}から…

由来案内・里見公園の羅漢の井

市川市の里見公園は南総里見八犬伝で知られる里見家の国府台(こうのだい)城の跡地である。 公園の片隅に羅漢の井と名付けられた清水があり、傍らに由来を記した碑がある。 ■■■ この絵は天保5年(1834)に完成した江戸名所図会に描かれたものです。絵は、浮…

由来案内・亀戸天神の文房至宝碑

江東区の亀戸天神社には文房至宝と刻まれた石碑がある。■■■ 中国より渡来した紙筆墨硯は文房四宝と称せられ読み書き算盤の寺子屋時代から明治の学制発布により高い文化を育てる文具として大きく貢献をしてきた。今や文房具はOA機器にいたる?その範疇を広げ…

由来案内・柴又七福神

映画「男はつらいよ」で有名な葛飾区柴又には柴又七福神があり、良観寺に布袋様の立派な石像がある。葛飾区観光協会名の立札には次のようにある。■■■ 当山の宝袋尊は、江戸時代の初期に商人が都からの帰りに、山中で日が暮れ、民家の宿を借り一夜を明かした…

由来案内・旧安田庭園の水門跡

両国にある旧安田庭園は、安田財閥の祖である安田善次郎が東京市に寄贈したのを、墨田区が管理を引き継いで一般に無料公開している。ここで江戸時代に造られたという水門が見られる。■■■ 江戸時代にこの庭園が造成された折、隅田川から水を引き込み。潮の干…

由来案内・小太郎地蔵尊

JR総武線小岩駅に端を発する商店街フラワーロードの半ばの脇道を入ったところに小太郎地蔵尊という小さなお堂がある。その由来がちょっとかわっている。 ■■■ 小太郎地蔵尊は栃木県那須郡塩原町小太郎ヶ淵から大正十二年(一九二三)旧東京市本城区横網町に、…

由来案内・小岩大橋

江戸川区を流れる新中川に架かる小岩大橋は千葉街道の一部で、都心側の興宮(おきのみや)町と千葉側の南小岩を結ぶ全長133メートルの橋である。その橋の興宮町側の袂には「小岩大橋と千葉街道」と題した由来を記したコンクリート製の低い碑が立っている。■■■…