中国近代史・太平天国の乱

1850年、広西省(現広西チワン族自治区)金田村に1万人規模の一揆が起きた。キリストの弟と名乗る洪秀全が上帝会と称する宗教組織を率いて起したのだ。
上帝会は翌年から太平天国と名を改め、満州族の支配をよしとしない者などの参加を急増させ、1953年には南京を占拠するに至る。
洪秀全は一気に北京を落とそうと考えていたが、気がかわって南京に留まり皇帝の真似事をはじめる。
政府運は長年の平和続きで太平天国軍を壊滅させる力はなくなっていたが、かわって曽国藩と李鴻章があらわれ太平天国を滅亡に導く。
1864年頃、11年もの間勢力を有した太平天国は消滅した。
歴史にもしもはないといわれるが、洪秀全は南京に根をおろさず一気に北京を目指せば、清朝を滅ぼす可能性が高かったのではなかろうか。