中国近代史・(史料)21ヵ条要求
第一次世界終盤ででドイツに戦線布告し、その勢力範囲の青島を占領して袁世凱に5項の要求を突き付けた。
(1) 山東省のドイツ権益の継承
(2) 満州:東部内蒙古での日本権益
旅順:大連の租借期限、
南満州利益期限の99年間延長
(3) 漢台洋光示の日鹿共同経営
(4) 沿岸島嶼などの不割譲
(5) 財政:軍事顧問に日本人採用など
袁世凱は第5項を除きこれを受け入れるとともに、要求を21ヵ条要求に見せかけた。これにより反日運動が各地に起こり、中国の「国恥記念日」として長く記憶されることとなり、その後も中国民衆の激しい反発を受けることとなる。
また、イギリスの一部などに日本の中国大陸進出の警戒意見が強まり日英同盟継続に対する反対論も出で、中国民衆は五・四運動で激しい抗議行動を行い、中国政府もヴェルサイユ条約の調印を拒否した。