中国近代史・清朝の滅亡

1908年11月14日、清朝第11代光緒帝が毒殺(犯人不明)され、翌日には西太后も没する。光緒帝には嗣子がなかったため帝位は弟の子溥儀(ふぎ)が3歳で嗣ぐことになる。
他方、孫文らの蜂起はなかなか成功しなかったものの次々と各地へ広がり、蜂起組織は一致して孫文を臨時大総統に選び、1912年1月1日、中華民国臨時政府を樹立する。清朝にはこれを阻止する力はすでになく、同年2月12日に帝位を廃して滅亡する。
清朝の継続が困難になった大きな理由に、袁世凱の転向がある。袁世凱は北洋水師などを再編・再整備した北洋新軍をもって清朝を支えていたが、革命軍側と取引して寝返り、清朝滅亡とともに孫文に代わって中華民国臨時大総統となったのだった。