由来案内・法華経寺祖師堂

法華経寺五重塔は西河が広い境内で祖師堂がある。
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祖師堂は宗祖(しゅうそ)日蓮聖人(にちれんしょうにん)をお祀(まつ)りするお堂で、最初は鎌倉時代の正中(しょうちゅう)二年(一三二五)に上棟(じょうとう)した小規模な五間堂でした。その後、焼失などのため数回の再建があり、現在の祖師堂は江戸時代中期の延宝(えんぽう)六年(一六七八)に上棟されたものです。
建物は大規模な七間堂で、屋根を二つ並べたような比翼入母屋造の形式を持つのが特徴です。このお堂の他に比翼入母屋造の屋根を持つのは全国でも岡山県にある吉備津(きびつ)神社本殿(ほんでん)(国宝)だけです。堂内は正面の吹き放し外陣(げじん)、内部の広い内陣(ないじん)、それに両脇の脇陣(わきじん)と背面の後陣(ごじん)に区切られています。内外陣堺の上部には挙格子(あげこうし)、下方には結界(けっかい)と呼ばれる取り外し可能な仕切りを入れ、内脇陣堺にも同様な結界がありますが、大きな行事の際には、これらを開け放って堂内を広く使うことができるように工夫されています。これらは日蓮宗の仏堂によく見られる特有の形式です。内陣は本来板敷ですが、現在は畳を敷詰めてあります。天井(てんじょう)は格縁(ごうぶち)天井といい、碁盤目状(ごばんめじょう)の縁の部分は黒漆(くろうるし)塗りで、天井板には桔梗紋(ききょうもん)が描かれているほか、内陣周りの上部は極彩色(ごくさいしき)塗りで荘厳(そうごん)にされています。
祖師堂は関東地方では数少ない大型日蓮仏堂の典型で、その規模や形式は当時の庶民信仰の動向を知る上での一指標として位置付けられるとともに、建立年代が明確な建造物としても重要です。
昭和六十二年から始まった解体修理は十年の歳月を費やして平成九年に完了し、建立当初の姿に復原されました。
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堂内ではよく小さな催ものが行われているようで、雛祭りは有名な行事であるらしく、日程はネットで調べられる。