中国近代史・阿片戦争

西暦1616年満州族ヌルハチによって建国された清朝は、第4代康熙帝、第5代雍正帝、第6代乾隆帝の時代になって最盛期を迎える。だが、西洋文明に無関心だったツケがまわり、第8代道光帝の時代になって西洋諸国による侵略を受けるようになる。その最初の大きな事件が阿片戦争であった。
紅茶の普及で茶葉を清から大量にするようになったイギリスは、反面清へ輸出するものがなく貿易赤字を解消するため、インド産の阿片を大量に売りつけることで逆に大幅な大幅黒字にしていた。
阿片の流通を食い止めようとした道光帝は、1839年、林則徐に問題解決を命じる。林則徐は広州湾に集まった阿片を全て焼却しイギリス側の反発を招くこととなり、翌年戦争に発展した。
戦争は1842年の南京条約でイギリスの一方的な勝利におわり、清国は香港の割譲、治外法権の承認などを余儀なくされた。また上海に初めてイギリス租界が形成され、これを機に各国は次々と租界を開くようになった。